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40年ぶりに

2013年03月06日

 過日の大嵐が過ぎ、天候に気温に春が身近に感じられるようになりました。ドーム球場とは言えども、モウ、球音の季節なんですものね。

 4日、5日と昭和48年(1973年)三月以来訪れていなかった、登別温泉から更に奥まった場所にあるカルルス温泉に行ってまいりました。温泉に浸かり♪湯気が天井からポタリと背中に~~~なんってものではなく、サンライバスキー場に行ったのです。

 

 ここは当時、カルルススキー場の名称でした。私が「リフト」に初めて乗ったスキー場です。当時、幌別に住んでいたのですが、多分小学校4年生頃からだったと思います。近所の遊び仲間と共に、正月明けお年玉を使い、バスを乗り継ぎ、背負ったリュックにはスキー靴とオフクロが作ってくれたおにぎりが入っていました。スキーシーズン中、カルルススキー場に行くことができたのは、多くて2回程度でした。それでも毎シーズンでかけた、唯一、リフトのあるスキー場だったのです。

 

 最後の滑りは今でも忘れることのできない思い出のスキーでした。高校三年生で卒業式までまだ間もあり、平日に学校を自己都合でお休みにさせてもらい、まぁ、一言で言いますと、サボリ。リフト運転の最終時間近くまで滑り、最後の一本、薄暮で見えなかった、コブに飛ばされ大きく前方に投げ出されました。右の板が見事に雪に刺さったのですが、当時のビンディングは、多少のことでは、外れてなるものかとばかり、しっかりと板と足を繋いでくれていました。

 

 ラストワンに転倒では悔しいので、一緒にさぼった、K君とモウ一本滑るべ、と言うことで、気持ち良く滑り終えたのです・・・翌朝、右足を床に付けると激痛が頭の天辺まで一直線でした。踝と足の甲が一体となった完璧な腫れ具合で、お医者さんのお世話になる程でもなかっのですが、歩行には難儀しました。

 今回、サンライバスキー場を滑りたかったのは、自分自身の儀式的な感情があり、改め「雪山滑走我人生」を認識してまいりました。

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コースは当時と全く変わっていませんでした。シングルリフトは全て二人乗りに変わっていました。

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食堂でラーメンを食べれる金銭的余裕ができたのは、中学校になってからだったと思います。あっさりした中にも余韻を残すスープが美味しかった塩味。ナルトが入っていたら、私の中では完璧でしたね。

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ホルダーに券を入れ、左腕に付けてスキーしたのも本当に久しぶり。40年ぶりのカルルススキー場が近づくにつれ、ワクワクした気持ちで、なんつうか40年経って初恋の君に逢えような感情が湧いてきました。初恋は実らないと言いますが、スキーに恋した私の恋はこれからさらに燃え上がる大人の愛情へとさらに高みを極めるものなのですよ。なんつうて、大やけどしないように自重しつつスキーを愛してまいります。