NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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第32回 レジェンドの系譜-2
ニセコを成長させたニセコルール
ニセコ雪崩事故防止協議会ニセコ雪崩調査所所長 新谷暁生さん

 
 
新谷暁男さん_MG_9265.JPGのサムネール画像 私は札幌生まれ(1947年)で高校生のときに本格的に山に魅せられました。大学(酪農学園大学)ではもちろん山岳部。厳冬期の十勝大雪や知床連峰の縦走、利尻山など、そのころはまず北海道の山ととことん向き合いました。大学を出ると、農業調査員として3年間ネパールに行くチャンスがあり、ヒマラヤへの思いと準備を温めます。そして生活の基盤を作るために、モイワスキー場(ニセコ町)にロッヂ・ウッドペッカーズを開業しました。1975(昭和50)年のことです。
 70年代後半からパキスタンやヒマラヤ、中国への遠征を重ねて、86年のネパールヒマラヤ、チャムラン峯(7380m)登山隊では隊長を務めます。これらの自分が組み立てる山行は、すべて自前が基本。それが信条なんです。そのあとアルゼンチンのアコンカグア峰(6980m)三浦雄一郎登山隊の支援隊長となりました。
 また80年代半ば、パタゴニア社の創設者イヴォン・シェイナードさんと出会ったことがきっかけでシーカヤックの世界に入り、その後積丹や知床、千島、アリューシャン、南米ビーグル水道やホーン岬などを漕破しました(南米は関野吉春グレートジャーニーのサポート)。そのころから、夏は海(シーカヤック・ガイド)、冬は山という生活を続けています。
 知床では、海岸でのたき火の規制をめぐって多くの人と議論を重ねて、たき火の技術やマナーを整備してきました。あそこでたき火ができないと、人は死にます。では自然の持続的な営みにダメージを与えないためにどんなたき火をすれば良いのか、そこを考えながら、行政や関係機関に働きかけていったわけです。
 
 ひらふには、中学生のころから来ていました。ちょうどリフトができたころですが、リフトには乗らず(笑)、例えば1000m台地から頂上を経て五色温泉に下りて、モイワから昆布温泉へ、といったコースを楽しんでいました。
 
 さて、雪崩をめぐる「ニセコルール」について話しましょう。これはスキー場管理区域の外を滑走する人たちと、すべてのスキー場利用者の安全のために、2001年に作られた公式ルールです。制定に関わったのは、「ニセコアンヌプリ地区なだれ事故防止対策協議会」、「ニセコスキー場安全利用対策連絡協議会」、「ニセコフリーパスポート協議会」、「後志地方山岳遭難防止対策協議会」。
 私は25年前くらいから、山でスキー事故が起きると捜索の指揮にかり出されるようになりました。当時のニセコのバックカントリーは、毎年死亡事故が起きる、日本でいちばん雪崩事故の多いエリアだった。これをなんとか防ぎたい。正確なデータをもとに、危ない日には「今日お天気はこうで、このへんが危ないから注意しろ」と知らせたいと考えたのです。
 自分の経験からも、雪崩は吹雪の最中かおさまった直後に起きると知っていました。意外に思われるかもしれませんが、データで見てもそうなのです。まずこのことを正しく伝えたい。そして境界ロープにいくつかゲートを設けて、パトロールを配置する。毎日の山の状況はインターネットで発信して、ゲートからゲレンデの外に出て行く人たちに、パトロールがそれを再確認していく。そしてもちろん、いつも危険だから行ってはいけないエリアのことや、万一事故が起きた場合の救助費用のことなども前もって情報を提供していく。
 予報のためには、山頂の気温や風の情報などを正確に公表する必要がありますから、そのために作られたのが、ニセコ雪崩事故防止協議会と、そこが管轄するニセコ雪崩調査所です。調査所では毎日定時にインターネットで、気象データと予報を日本語と英語で発信しています。
 
 しかしリフト会社や行政は当初、そもそもゲレンデの外に行くのが悪い。ルールを作ることは、外に行くことを奨励するから認められない。事故があったら誰が責任をとるんだ、という姿勢でした。管理側からすればまあ当然でしょう。でも責任論を語っても事故はなくならない。ニセコの世界に通じる大きな魅力は、降りしきる新雪の中を自由に滑られること。国有林を管理する倶知安の後志森林管理署なども交えて、話し合いを続けました。
 ひらふさんはわりと早い時期に、そこまでしても滑りたいという人たちがいる現実があるのだから、彼らの安全を守ることが重要ではないか、と考えてくれるようになった。そのことがビジネスにとってもメリットがあるわけです。そこには同時に我々からの、ツアーガイドたち(NWGA・ニセコウィンターガイド協会)や、自分の遊びたい気持ちを優先しがちなスキーヤーやボーダーたちへの働きかけがありました。特に「滑らせろ滑らせろ」という、若い連中の突き上げに対してね。ひとりの勝手な行動が、みんなの自由を奪っていくことにつながるんだゾ、と。そうして、「ルールは自由を守るためにあるんだ」ということ、そのことを多くの人が実感としてわかっていったのです。
 結局10年かけて、関係機関は私たちのやり方を「追認」してくれるようになった。それが現在の「ニセコルール」です。ここまで来るのに10年かかった。でもそのプロセス自体が、我々の財産ではないかと思います。えらい先生や役人がみんなをリードするのではなく、そうした権威に頼らず、逆に権威を下から巻き込んで、自前で作ったルールですから。
 
 ニセコのすばらしさは、まだまだ人に十分には伝わっていないと思う。外国人に対してはなおのこと。そしてニセコ自体も、我々の手と知恵でまだまだすばらしくなっていける。私はそう確信しています。
 
 
新谷暁生さん/ロッジ・ウッドペッカーズオーナー・ニセコ雪崩事故防止協議会ニセコ雪崩調査所所長・シーカヤックガイド