NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2011年12月
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第39回 ひらふを彩るストーリー2
北へ旅した果てに出会ったひらふ。
居酒屋Niseko Bang-Bang オーナー
齊藤正信さん  敏子さん

 

 

 

1960年から今日まで、ひらふには全国の若者がおおぜい訪れ、やがて移り住む人々も増えていきます。ひらふ坂で人気の居酒屋Bang-Bangのオーナー齊藤正信さんも、1970年代に道外からやって来た一人でした。

 

 

masanobu_saito.jpg
 佐賀(九州)の出身で、北へ北へと旅をつづけるうちにひらふと出会いました。
 道東の尾岱沼(おだいとう・別海町)の漁師さんの手伝いをずっとして、それが終わるとスキーを覚えようとひらふにやって来たんです。山本由紀男さんの「ゆきやま山荘」が立ち上がった年(1976年)。『白雲荘』でバイトをしながらひと冬夢中ですべりました。どんどん上達していくのがおもしろくて仕方なかったですね。いろんな土地からいろんな人が集まっていて、とにかく毎日が新鮮でした。そのうち ああここに住みたいな、と思いました。

 

 でも若かったし、旅の虫は収まりません(笑)。ひらふに腰を据えたのは、それから4年近くイギリスやフランスで暮らしたあとのことでした。
 外国語と料理とワインを学びたかったのです。バーミンガム(イギリス)、パリ、ブルゴーニュなどで経験を積みました。帰ってきてニセコ高原ホテルで働きながら、ペンションをやろうと考えました。ところが予想を超えるペースでペンションが増えていて、これじゃあ過当競争になるぞ、と思いました。一方で、ひらふで働く人たちが飲みに行く場所はあいかわらず少ない。ならば居酒屋をやろう、と。それがBang-Bangのはじまりです。ホテルを辞めるとき、上司に引き留められたのですが、「僕には夢があるんです!」なんて言ったことをおぼえています(笑)。
 かつてバイトをした尾岱沼の漁師さんには、そのときから現在まで、魚の仕入れ先になってもらっています。

 


 

齊藤さんがヨーロッパに旅立つ前に知り合い、ニセコ高原ホテルに勤めていたのが、敏子夫人。敏子さんは居酒屋開業当時のことを、とにかく目の回る忙しさだったと言います。
「早い時間はスキー客、遅くなるとホテルやペンションの従業員たちが来てくれました。どうかすると午前2時とか3時まで帰ってくれないのです。商売としてうれしいのですが、ほんとに困りました(笑)」

 


 

 僕たちはスキーを滑りたかったからね。いまはビジネスのためだけにひらふで暮らす人も増えていますが、僕たちはまず毎日スキーを滑りたかった。ここに暮らしてスキーをするために、僕たちふたりは店をはじめたんです。
 スキー好きのオーナーの店には、スキー好きが集まります。従業員もそうですね。そんな若者の中には、テレマークスキーヤーの高梨 穣(ゆたか)さんのように、うちでバイトをしてひらふで暮らすことを決めていった人たちがいます。

 

 Bang-Bangのとなり、ひらふ坂に面した店も切り盛りするようになったのは、13年ほど前。はじめは借りて、その後買い取りました。今はBang-Bang の姉妹店、Bang2として営業しています。

 スキーシーズン中のひらふは、本当にいろんな店が切磋琢磨して、活気あるまちになります。飲食店ですから、おいしいのは当たり前。私はできるだけ、国籍も、常連かそうでないかも問わず、すべてのお客さまに声をかけます。ちょっとした会話がお客さまの印象に残って、翌年、「ほんとは長野に行こうと思ったけど、また来ちゃいました」なんて言われることもあって、そんなときはほんとうにうれしいですね。

 

 私も50代後半になって、ビジネスも生き方も、若いときより自然体でいられるようになったと思います。青春時代の旅やいろんな経験がいまになって生きてきた、といえるかもしれません。ひらふも私たち夫婦の人生も、お楽しみはまだまだこれから、という気持ちです。

 

●Niseko Bang-Bang
倶知安町字山田188-24 グランヒラフスキー場
TEL:0136-22-4292
http://niseko.or.jp/bangbang/