1990年代半ば、スノーボードのブームが一気に広がります。
週末になるとひらふには、本州からのツーリストのほかに、真新しいボードを抱えた若いボーダーたちが札幌方面から押し寄せました。本州からの中学・高校の修学旅行でもスノーボード体験を取り入れる学校が現れ、生徒たちの人気を博します。やがて長野オリンピック(1998年)で正式な五輪種目(大回転、ハープパイプ)となったことも、強力な追い風となりました。98年にひらふで日本スノーボード協会(JSBA)公認のスノーボードスクールを開いたのが、倶知安っ子の木村聖子さんです。
子どものころ冬の遊びは、もちろんすべてスキーでした。ここで生まれ育った子どもに、ほかの選択肢はありませんからね。でもボードが注目されはじめたころ、ちょっと変化がほしくて乗ってみたのです。たちまち夢中になりました。スキーはスロープにただ立っているだけで一応滑りますが、ボードはそうは行きません。それがビックリするほどおもしろかった!
ルスツリゾート(虻田郡留寿都村)には早い時期から、関 規明さんが開いている公認のスクールがあったので、そこで基礎を学びました。
滑れば滑るほど面白くて、すぐ公認インストラクターの資格を取って教える側にまわりました。ほどなく関さんに替わって校長を務めることになりました。振り返ってみればそこまであっという間でしたね。
7年ほどたって、でもやはり地元でボードと関わりたくなり、ひらふに戻って日本スノーボード協会(JSBA)公認のスノーボードスクール、「マザーグース」を立ち上げました。ひらふでは玉井 太朗さんがJSBAの公認校を開いていましたが、それにつづくスクールでしたね。
私は、基礎を大事にしながら、ふるさとにスノーボードをしっかり根づかせようと考えました。道具の選び方、そしてブーツの履き方ひとつで滑りの感覚は違ってきますからね。そして、道具を大事に扱うこと、子どもでも荷物は自分でもつこと、きちんと挨拶をすること。最初にこういうポイントを重視しました。上達すれば、パウダースノーのひらふでこそ、ボードの魅力が満喫できます。こうした考えは、今もまったく変わっていません。
はじめての方には、とにかく楽しい時間をもってもらおうと心がけました。だから校名も、スポーティな競争イメージとは逆の、女性的でやさしい「マザーグース」(イギリスの童謡集の名前)としたのです。あまり細かいことを言わずに、とにかくターンを早く身につけてもらう。スノーボードの世界をある程度体感してもらえば、あとは自然に欲が出てくるでしょう。
ひらふの基盤になるのは、倶知安の子どもたちです。ですからスクールの中に、「じゃがボーダーズ」というジュニアチームも作りました。はじめはみんな、スポーツというよりヤンチャな遊びです。それで良いんです。その中からは、いまソチ五輪(2014年、ロシア)を狙う渡辺 大介君なども育ってくれました。
開校してしばらくすると、地元でスクールを開くことは、単にゲレンデでビジネスを起こすだけじゃない意味を持つのだな、と感じました。リフト会社やホテルをはじめいろんな方々との関わりが増え、ひらふや倶知安のことを話し合う機会もでてきます。JC(青年会議所)の活動にも加わり、スクールの運営を通して私は、生まれ育ったまちをさらに深く知ることができたと思います。
日本スノーボード協会公認スクール「マザーグース」
倶知安町南4条東5丁目
TEL:0136-23-3173
http://www5.ocn.ne.jp/~goose/