NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2010年10月
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第20回ペンションの源流をたどれば-2
スキー場民宿は、ファームレストランのはじまり

 ひらふで最初期にはじめられた民宿は、みなスキー場にほど近い農家でした。農家ではたいてい、牛を1〜2頭飼っていました。糞で堆肥を作って地力を高めるためです。そのために宿泊客には毎朝しぼりたての牛乳がふるまわれ、とても喜ばれました。タマゴも庭で飼っていたニワトリのもので、目の前の畑のジャガイモなども、食卓を飾ります。農家が自前のミルクや農産品をたっぷりとふるまうもてなしは、今日のファームレストランの原形ともいえるものでした。最初の7軒のうちのひとつだった「小田民宿」の2代目だった小田正信さんは言います。
「1泊2食500円。いまでは考えられませんが、全部相部屋です。なにしろ人気が出たころは、押し入れでも廊下でもいいからとにかく泊まらせてほしい、とお客さんがやってくる日も珍しくありませんでした」
 当時はお嫁入りして間もなかった奥さんのキミエさんは、「牛乳やイモのほかにも、冬になる前にイワナをいっぱい釣って焼いてから甘露煮にしておいたり、山菜の塩漬けなどを作り置きしていました。関西からのお客さんが庭でカマクラを作って、その中でジンギスカンをしたことありました。大喜びでしたよ」と語ります。

IMG_0964_2.jpgのサムネール画像
宿泊客の車がひしめき合う小田民宿(当時)の駐車場(昭和40年代)

 
 しかし朝早くて夜遅い生活がつづき、家族総出で働いてもとにかく毎日たいへんだったそう。
「朝早いのは慣れていますが、夜遅いのはゆるくなかったです」とキミエさん。小田民宿は、正信さんが体をこわしたこともあり、1978年で営業を閉めました。
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当時を懐かしく語る小田ご夫妻 平成22年9月撮影

 高原コースの真下で人気の宿として営業を続ける「白雲荘」も、最初期の民宿からのスタート。創業時から牛乳風呂を名物としています。これも当時牛を飼っていたことから生まれたアイデアでした。現在の宿を切り盛りする浦野妙子さんは、かつてファンとしてひらふに通いつめたスキーヤー。
「函館どつくに務めていました。金曜の夜に函館を発って早朝比羅夫駅に着くとすぐ、今では考えられないような重たい道具と長いスキーをしょって、2時間近くかけてゲレンデまで歩きました。リフトが動くまで時間がありましたから、ただバスを待っているより、山にとにかく早く着きたかったのです」
 やがて本州はもとよりヨーロッパやカナダのスキー場にまで出かけるようになった妙子さんは、1975年に白雲荘にお嫁入りしたのでした。
「当時のひらふは、リフトと宿しかないような状態でした。アフターの楽しみがとても少ない。だから白雲荘で、喫茶店(ウェーデルン)と飲食店(居酒屋かかし)をはじめました。ひらふで最初でしたよ」
 地域にないものを作って、ひらふをもっと魅力的なまちにしよう。そう考えた浦野さんはその後、夏場のためにテニスコートを作るなど、地域全体を見すえた経営を広げていきました。
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浦野妙子さん 白雲荘の食堂にあるグラン・ヒラフコースマップとともに
平成22年9月撮影