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始まりと終わりに

2013年05月03日

 今朝7時前、ナカナカの降雪でした。ニュースで、札幌の5月での降雪は21年ぶりと伝えていましたが、ニセコだって負けてませんでした。でも、このような勝負よりも、五月晴れが欲しいのであります。

 昭和52年のシーズンインは、36シーズンの中で最も遅い12月24日が、スキー場再オープンとなり、アルバイト初年度のシーズンでもあったので鮮明に記憶しています。そして、今シーズンの低温とゲレンデコンディションも、忘れることがないシーズンとなりそうです。記録に残るよりも記憶に残るシーズン・・って、なにかでコノ言葉はありましたね。

 

 写真で振り返る我がスキー人生第2弾は、独身を謳歌していた時分です。って、当然ですか、中学生っすから。TVドラマ、奥様は18歳(幼妻)だって、あれは高校生でしたからね。しかし、今考えると、教育委員会がひっくり返りそうなTVドラマが、深夜でもなんでもない時間帯にオンエアーされていたのだから・・まぁ、内容はコメディですから、タイトルに惑わされてはいけない見本でしたがね。

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これは、F兄弟と一緒に、登別にある(現在も当時の牧場の名前からは変わっていますが、牧場として存在しています)Y牧場で滑らせてもらっていた頃です。ウェアーはベルト付きという、当時の最先端ファションざます。中学三年生だったと思いますが、頭の中は当時のまま・・ほっとけ。登別はもともと雪は少なく、標高も高くないことから、スキーをする場所は限られます。でも、牧場は草地なので、僅かの積雪でも滑ることができた貴重な場所でした。リフトなんって無いのですから、滑っては登り、登っては滑るで、日が暮れるまで遊んでいました。

 

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アルバイト一年目のシーズン、昭和53年2月だと思います。秋田からのお客様で、ブルーウェアーのお二人は、SAJ指導員の方でした。勤めていた、当時のアルペン山荘に宿泊され、前夜、仕事していたスナックに飲みにこられ、翌日一緒に滑りましょう、となりご一緒させていただきました。スナックの職場は午後6時からのお勤めで、同伴出勤もなく・・って、当たり前。毎日朝イチから午後4時過ぎまで滑らせてもらいましたなぁ・・・、今までの人生で一番スキーした時期でしたが、この先、この時期をクリアーするのが、最大の楽しみなんですよ、ウッフフフー。