NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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第37回 新しい滑りの世界へ-3
スノーボードは僕のアート。
プロ・スノーボーダー、「マニャーナカフェ」オーナー
井原寛公(ひろまさ)さん

 

 

 

倶知安ネイティブのプロ・スノーボーダーを紹介しましょう。

hiromasa_ihara.jpg 僕は1980年に倶知安に生まれました。22才でプロライセンスを取って、現在は雑誌やDVD、イベントなどで活動しています。

 倶知安の子どもはみなそうですが、雪あそびはまずミニスキーやソリから。小学生になってやがてスケートボードに乗るようになって、その延長でスノーボードと出会いました。中3の春、ひらふにあったスノーボードショップでボードを買って、ビデオを見ながら独学で滑りはじめました。それからは両親があきれるくらい熱中していきます。

 次のシーズンの3月、スノーボードジュニア世界選手権が白山一里野温泉スキー場(石川県)で行われ、力試しに挑戦しました。

 ひらふではほとんどできなかったハーフパイプ競技で、親はすごい世界を知ったら熱が冷めるんじゃないか、と思ったようです。でも僕は、「力いっぱいがんばってこい!」と応援してくれたと思った(笑)。そしてこのたった2日間で、自分でも驚くほど成長しました。そして直後に白馬乗鞍であった全日本のユース(ハーフパイプ)で優勝しちゃったんです。

 

 両親もさすがに驚いたようです。そのときのボードは、札幌のスーパーマーケットで買ったもので、いわゆるメーカーものではありませんでした。倶知安農業高校2年生のシーズン、フィンランドで行われたワールドカップにも出場しました。子どものころから運動神経は良い方で、スノーボードのほかにノルディックスキーにも熱中していましたし、高校では野球部のキャプテン。集中力にもちょっと自信がありました。ボードにのめり込む日々が続きました。

 

 でもだんだんと、人と競うだけではつまらないなと思うようになったんです。後輩の中井孝治君が出てきてスノーボード競技はさらに盛り上がっていったけれど、僕はなんだか、ポイントを競うだけでは満足できなくなりました。もっとなんというか、自分を表現する手段としてスノーボードを考えたかった。だからやがて競技の世界から雑誌や映像の世界に舞台を移しました。アメリカで写真家の花坂孝さんと会って意気投合したことも大きかった。やがて、スノーボードはアートなんだ、って確信したのです。つまり山と雪は白いキャンパスで、そこに自分が何を表現するか。その一瞬を切り取ってくれるのが、写真家です。

 

 2008年の暮れ、自分を表現するもうひとつのメディアとして、倶知安の駅前通に「マニャーナカフェ」をオープンさせました。マニャーナとは、スペイン語で「明日」の意味です。

 ボードを脱いでも、ひとりの大人として社会と関わっていく基盤がほしいと思いました。店の内外に、スノーボードの世界観はあえて出していません。仲間うちだけでわいわい盛り上がる店にするよりも、まず地元の人に日常的に通ってもらう店にしたかったから。倶知安ではよく「山の人」「まちの人」という言い方をします。僕はこのカフェで、それぞれの人が気軽に交わってほしい。そのためにも、いまよりさらに、まちの人に山に入ってほしい。そしてここから世界に向けて何かを発信できたら、と思っています。

 

 仕事で海外のいろんなまちを訪ね、たくさんの刺激を受けるたびに、倶知安のことを考えます。21世紀になってオーストラリア系の人びとが移り住むようになり、彼らから刺激を受けて倶知安は少しずつ変わってきた、とも感じています。倶知安で生まれ育った人間として、山で積み重ねられてきた人と雪の歴史を大切に受け継ぎながら、その上で、このまちに何か新たな刺激をもたらしたい。カフェに集まるいろんな人の力を借りながら、僕はこの店でも、自分なりの何かを表現していると言えるかもしれません。

 

 

● 井原寛公さんのブログ
http://iharahiromasa.jugem.jp/

 

●マニャーナカフェ
倶知安町南1条西2丁目4-2
tel : 0136-22-3735
http://lapulife.com/cafebar.html