NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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_MG_9499.jpg 僕が生まれ育ったのは、神奈川県の大和市。1969(昭和44)年生まれですが、家のまわりにはまだ雑木林や遊べる川があって、小学生のころは友だちとそんな世界をかけずり回っていました。冬はたまに雪がふると、ミニスキー。少年時代のヒーローは、植村直己と星野道夫でした。大自然や冒険的な世界へのあこがれから、北海道にも行ってみたいと思っていました。
 中学高校と夢中になったのは、自転車(ロードバイク)。仲間とあちこちにツーリングに出かけました。特にパスハンティング(峠越え)が好きで、丹沢のヤビツ峠なんかに通ったものです。自転車の魅力は、なんといっても、体ひとつで日常を超えたスピード感が楽しめること。これはスキーとも共通しますね。ダートだってタイヤだけ換えて、ロードタイプにこだわっていました。
 高校卒業後すぐに北海道に来ました。知り合いの伝手(つて)で日高の軽種馬牧場で、1年間働きました。その後、スキー場でバイトをしながらスキーを始めます。初めに行ったのはルスツリゾート。翌年からニセコで働きながら滑るようになります。
 
 そもそもスキーを始めたのは、高校を卒業してから。初滑りをしたのは車山高原(長野県)。とにかく転んでばかりで、楽しむどころでは無かったです。ニセコで働くようになってからもスキーに取り組みますが、なかなか上達もせず楽しめるようになりませんでした。スキーに挫けそうになっていた頃、友達にスノーボードをすすめられて始めます。スキーとは違いすんなりと滑れるようになって行き、すっかりのめり込みました。バブル景気まっ盛りの当時、流行っていたスキーはとにかく派手で、あまりそういった世界に興味を引かれなかった僕にとって、スノーボードは魅力にあふれていました。既成概念に捕われない独創的な楽しさ、パウダースノーに全身を包まれ滑る時の浮遊感。まだ数えられるくらいしかスノーボードをしている人もおらず、午後になってからでも、どこもかしこもノートラック。一日中パウダー三昧でした。
 ひらふで住み込みのバイトを見つけて(齊藤正信さんのBang-Bang)、ひたすら滑りまくったんです。1991年だったと思います。一緒に滑る仲間のほとんどはスキーでした。滑れるようになって行くにつれ、行動範囲が広がって行きますが、スキーヤーについて行く事が出来ません。
 そんなときテレマークスキーを知ったのです。始めて見ると普通のスキーよりも以外とうまく滑れました。斜度の緩いところ、雪の深いところ、林の中、ボードでもがいていたところでも軽々と抜けて行けてビックリしました。雪の上を「歩ける!」、「面白い!」。衝撃でした。
 でもそれは当然のことで、スキーはもともと雪上を移動するために生み出された、生活で使う道具だったんですからね。テレマークは、そんなスキーの原点である歩く機能が残された道具なんです。
新雪の森の中を移動したり山に入るのに、テレマークほどふさわしい道具はありません。スピードも出るし、その軽快さはスノーシューの比ではないんです。テレマークスキーを履けば、縦横無尽に山を動き回れます。ニセコだけに限らず、そもそも日本の冬にとっても合ったスキーだと思います。
 
 
 やればやるほど上達して、滑れば滑るほど虜(とりこ)になった。ちょうど道具もどんどん変化していた時代でした。さらにニセコには、山本由起男さんや深町計彦さんという、日本のテレマークスキーの先頭を切りひらいている人がいました。滑る度に、もっとうまくなりたい! と心から思わされました。そのうちレースにも出るようになって、テレマークひと筋になっていったのです。
 レースは技術の頂点をめざす世界ですから、うまくなる動機づけとしてはこれ以上のものはありません。本州のレースにも出て、コンスタントに上位入賞できるようになりました。
 でも遠征の費用はもちろん自腹。居酒屋のバイトは午後3時くらいにはじまって、最後の片付けから解放されるのは、午前2時くらい。それでも翌朝、リフトが動きはじめる朝一から滑っていました。キツイとかつらいとか、そんなこともちろんまったく思いもしなかった(笑)。もっと滑りたい、もっとうまくなりたい! それだけです。
 ワールドカップや世界選手権など国際レースに出るようにもなったのですが、世界レベルには到底敵いませんでした。
 そんなときです。ナベさん(写真家の渡辺洋一氏)から、「アラスカにいっしょに来ないか」と誘われました。迷わず「行きたい!」と応えました。
 実際行ってみると、全てのスケールがまったくちがい、日本では味わうことの出来ない、冒険的で圧倒的なスリルと興奮がありました。自分が求めるテレマークスキーの世界が見つけられたような気がしました。それは、今の僕につながるスキーとの出会いです。それからアラスカには6度も通いました。
 
 その一方で、海外で滑りニセコに戻る度に、ニセコの素晴らしさを再認識するようになりました。平地の森にも雪が積もり滑れる。世界的に見ると、雪といえばあくまで森林限界を超えたような標高の高い険しい土地に降るもので、日本がとても特殊な環境だということに気付くようになりました。特にニセコは抜群な雪の量と質、滑るのに最適な斜面に恵まれてるのですから。
 
 ニセコという素晴らしい環境があったからこそ、滑るようになり、そしてテレマークスキーにのめり込み、世界が広がって行った。そんな自らを虜にした、ニセコの素晴らしさを伝えて行きたいという思いから、ガイドやスクールの仕事「TOYRU(トイル)」を立ち上げたのは今から11年程前。
 2003年には、ガイドやスクールの事務所を兼ねて、このショップを作りました。たくさんの仲間たちに手伝ってもらって、ひと月で手作りました。
 
 2006年には、ニセコ地域のスキーガイドたちが集まり「ニセコウィンターガイド協会」(NWGA)を作りました。僕が代表を務めています。ニセコに来てくださる方々に安全に楽しんで行ってもらうために、ルールやマナーの普及に取り組みながら、地域との連携を図る活動を行っています。
 
 ニセコは自信をもって、世界中のスキーヤーに自慢できる場所です。ここに根を張って暮らしている僕たちは、ニセコをさらにもっと良くしていきたいと、心から思っています。目先のことを考えるのではなく、本当にここにしかない価値を大切にして育んでいかなくてはなりません。
 ニセコの原点であり最大の財産は、雪と山の魅力です。このことを、これからさらにしっかりと発信していかなければ、と思っています。