NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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第34回 ひらふとオーストラリアの出会い-2
ビジネスの原点はスポーツと自然。
(株)NOASC代表取締役・ロス・カーティさん 邦代カーティさん

 
 
ロス・カーティー夫妻IMG_1631.jpg 僕は1966年にオーストラリア南東部のブリスベンで生まれました。10歳からキャンベラで育って、子どものころからスキーは大好き。でもいちばん熱中したのは、アイスホッケーです。ユースのナショナルチームの副キャプテンに選ばれて、1983年に釧路と苫小牧(ともに北海道)に来ました。はじめての日本です。17歳でした。ゲームの日程が終わると、日本にとても興味があったので、ヒッチハイクで旅をすることにしました。いろんな人に親切にしてもらって、結局九州まで行ったんです。
 それから大学を卒業する年(1989年)に、ニセコのアンヌプリスキー場に来ました。学生時代は国内でスキーパトロールのバイトをしながらスキーを楽しんでいて、ヨーロッパやカナダでも滑りました。今度はちがうところで滑ってみたいと思って、雑誌に出ていたJALのツアー広告を見たんです。来てみて、ほんとにすばらしい雪に感動しました。再びニセコに来ようと思い、日本語の勉強をするために、そのまま、夏場は札幌でホームステイもしました。このお宅の方々とは、今でもお付き合いがあります。そこのお母さんは、サホロでのパトロールの仕事も探してくれたので、年末から年明けの3月までそちらに滞在することもできました。
 
 大学を出ると、一応向こうで就職しました。コンピュータの会社です。でも次の年はひらふに行こうと思って、前もって履歴書をサンモリッツリフトさんに送って、パトロールの仕事につくことができました。そのとき、ホテルニセコアルペンのショップでアルバイトをしていたのが、やがて奥さんになる邦代です。
 
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ロス/邦代は東京でOLをしていたんだよね。
邦代/アパレルメーカーの営業補佐の仕事。東京のデパートをあちこちまわっていました。仲の良い友だち3人で、どこか行きたいなぁなんて言っていて、海外旅行の計画を立てていたんだけれど、結局ニセコに来てアルペンショップでアルバイトを始めたの。私は二十歳のころ白雲荘(ひらふ)に泊まっていて、ひらふが大好きだったし。
ロス/当時はコンビニなんてないし、ショップらしいショップといえばアルペンしかなかったから、チョコレートやコーラをよく買いに行ってました。
 
邦代/ロスは待機することが苦手だったので、よくゲレンデ中を滑りまくっていました、合間によくお店に寄ってくれました。初めてのデートはアルペンの従業員食堂でした、2回目は今は無き、ハンクの家・・懐かしいです・・。日本語が殆ど話せないロスと、英語の全く話せない私たちには英和辞書は必要不可欠!!ロスは日本語を一生懸命勉強していました。
ロス/おかげで僕たちは結婚できた!(笑)
邦代/次の年もその次も、私たちは冬のひらふで働きながら、滑りました。
カーティ/僕は居酒屋や、渡辺淳子さんの「グランビュンデン」で働きました。「グラビュン」では、ロス・フィンドレーさんも働いていた。
 
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 やがて邦代とふたりで、オーストラリアのスノーボードを日本に輸出するビジネスをはじめました。全国のボードショップをふたりで営業にまわったんです。たいへんだったけど、円高だったのでうまくいきました。でもやがて円が弱くなって、利益が上がらなくなってしまった。そこでニセコでスノーボードのショップとスクールをはじめました。オーストラリアと日本のツアー企画などもね。
 94年にNOASC(Niseko Outdoor Adventure Sports Company)を創業して(98年に株式会社に)、バックカントリーのツアーや、夏のラフティング、カヤック、アドベンチャーキャンプなどへ、業務を広げていったのです。8月のじゃが祭り(倶知安町)では旭ケ丘公園でクレーンを使ってバンジージャンプをやったのですが、これは話題のわりには採算割れだった(笑)。
 95年ころから、僕やロス・フィンドレーさんのスポーツビジネス、ピーター・マーフィーさんのツアービジネスなど、ひらふのオースラリア人の仕事が注目を集めるようになりました。それからニセコのパウダースノーが、オーストラリアや東アジアの人たちに急速に知られるようになり、それがまた日本の中で大きな話題となっていきます。
 
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ロス/1996年に僕たちは晴れて結婚できました。
邦代/ロスは私の両親を納得させるために、近所のおばちゃんたちから仲良くしていったのよね(笑)。その行動力と誰とでもすぐ仲良くなれる人柄に、両親も反対しようがなかった。
ロス/気がついたら僕たちはいつのまにか3人の子の親になっていた。毎年オーストラリアに何ヶ月か暮らして、子どもたちがオーストラリアと日本の文化の両方を身につけることができているのは、よかったと思う。ひらふでは、3人とも樺山分校に通っている。
邦代/ロスは子どもが大好きだから、ほかの子どもたちをまじえて、スイミングやアウトドア活動にもとても熱心に取り組んでいますね。いまはスイミングとラグビークラブに一生懸命。
ロス/オーストラリアに比べると日本でラグビーはマイナースポーツだけど、いろんな人たちと力を合わせて、これから、ひらふの夏はラグビーだ、って思われるくらいにしていきたい。去年はここにオールジャパンの合宿も来たしね。子どもたちにラグビーの素晴らしさを教えたいんだ。スキーやボードは滑る人だけが楽しいけれど、ラグビーなどのチームスポーツは、プレイヤーとたくさんの観客が一体となって楽しめることがいいと思う。
邦代/学校やスポーツを通して、私たちは子どもたちがいる意味をあらためて実感することも多いよね。子どもを通して、知らない大人同士がすぐ友だちになれる。学校の行事やPTAに関わることで、地域との絆がさらに強くなっていくから。
 
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 21世紀に入って、ツアー会社と、不動産会社も作りました。NOASCと合わせて、ソフトとハードの両面でニセコを楽しむビジネスの仕組みを広げたのです。これからは、オーストラリアをはじめとした英語圏の人たちだけじゃなく、アジアの人たちをもっとニセコに呼び込みたい。そうした気運を盛り上げるためには、倶知安町とかニセコ町、蘭越町といった枠組みを超えて、みんながひとつになっていろんなことをやればいいと思う。
 僕がここでビジネスをする理由というか原点は、スポーツと自然です。つまりビジネスのための、利益をかせぐだけのビジネスではない、っていうこと。北海道のように移民が新しくまちを作ってきたオーストラリアには、鉱山とかリゾートとか、産業に直結して発展してきたまちたくさんあります。スポーツと自然をリソースとして生まれたまちもね。倶知安やニセコも、豊かな農業を基盤にしながら、スポーツと自然によって日本のどこにもないまちが、これからさらにできていくんじゃないかな。そのために僕はがんばりたいし、このまちがどうなっていくのかを見続けることが、とても楽しみなんです。