NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2011年3月
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 遊牧民のスタートは、1987(昭和62)年。当時は森の中の旅人宿でしたが、いまこのあたりは街になってしまいました。もう24年も経ちますからね。
 福岡出身の僕がなぜひらふに来たのか。それは、旅好きの若者が旅の終着点にたどり着いてすっかりおじさんになった話、として語れるかもしれません。
 今でも毎年バックパックを背負ってアジアを歩いていますが、若いときからとにかくあちこちを旅していました。世代的にいうと、最後のカニ族というところでしょうか。最初に北海道に来たのは、30年以上前で大学生のころ。倶知安駅の裏手にあったニセコ・ユースホステルに泊まりました。ニセコや北海道のすばらしさに感動し、その後も北海道の旅をつづけました。卒業後に大手のメーカーに務めることができ、配属の希望が通って札幌勤務となりました。
 25歳で退職して、海外はインドなどにも行ってみました。旅で覚えた英語が今になって宿業に役だつとは思いもしませんでした。フリーターという言葉もない時代でしたが、バイトをしてお金が貯まると出かけていく。そんな暮らしを続けたのです。さすがにそんな調子で一生をおくるわけには行きませんから、やがて 28歳で結婚しましたが、家内とは道東のユースホステルで知り合ったのです。自分にとっては会社勤めにはいろいろ理不尽なこともあり、関連会社の社長からいまの土地を譲っていただき、ここで旅人宿をはじめました。30歳でした。開業にあたっては、銀行や親など、説得しなければならない相手がたくさんいました。
 
 70年代、80年代のひらふには。全国からいろんな若者が流れ着きました。カニ族の次は、バイクで旅をするミツバチ族。彼らの中には、秋になると道東のシャケの加工場で住み込みのバイトをして(いわゆる「シャケバイ」というやつ)、冬になるとひらふのスキー場で働く、なんていう連中も少なくなかった。スキー場も住み込みですから、お金はしっかり貯まります。あいた時間にスキーもたっぷり楽しめますしね。そうして稼いだ元手で春から夏にまた旅をする。
 ひらふには今も昔も、いろんな若者を受け入れる自由な気質があります。人生の次のステップに進むために、冬のあいだはペンションで居候(ペンションの手伝い)をする、リフトマンをする、とかね。まあ昔に比べるとそういう人間は少なくなったけれど。その代わりいまは、外国人がやって来る。だからひらふはやっぱり面白いんです。
 
 遊牧民をはじめたころ、オーナーがろくに滑られないんじゃお客さんも来ないだろうと思って、師匠について、ずいぶん滑りました。それまでは万年ボーゲンだったのです(笑)。パウダーを滑られるようになると、がぜん面白くなった。長男、次男と私たち夫婦で熱中したものです。
 こんな環境で暮らしているのですから、息子たちには、ほんとにのびのび育ってほしかった。ゲームばっかりやってる子にはなってくれるなよ、という気持ち。だから2人とも一流のモーグルチームに入ったのです。特に次男(吉川空)は最初からモチベーションが高くて、大学生になったいまではソチ五輪(2014年)を狙うところまで来ています。
 80年代にペンションをはじめて今でも続けている人たちには、ニセコが大好きな上に、ここで子供が生まれ、子育てをしてきた人たちが多いのです。21世紀になって地価が急騰して、土地を売りませんかという話がうちにきたときも、息子が樺山分校(倶知安西小学校)に元気に通っていた時代を経て今がある僕たちは、迷うことなくNO! と言えました。売ってしまった人たちは、地域とのそういう繋がりが少ない方もいたと思います。
 
 ひらふの魅力は、なんといっても山と雪。これに尽きます。うちには、長野や新潟など本州のスキーの本場からの常連さんも多いのですが、彼らは最初、「こんな雪で滑ったのははじめてだ!」と感動してくれました。ここにしかない雪を求めて、うまい人ほど熱心に通ってくれる。そういう図式は海外のお客さんにもあてはまります。僕の印象では、そのはじまりは長野オリンピック(1998)。あのときたくさんの外国人が日本の冬と出会い、ひらふにも大勢の外国人スキーヤーが来ました。彼らもまた「こんな雪で滑ったことない!」とばかりに感動してくれて、国に帰るとひらふのことを口コミでどんどん広めてくれました。2000年前後の数年間は、白人のスキーヤーが毎年倍々で増えていきました。
 でも最初のころ、うまい外国人はゲレンデにいなかったですね。みんなお目当ては、パウダーの天国、バックカントリー。そうなると事故の心配もあるけれど、でもニセコのスキーはもともと山スキーからはじまったわけだから、ただ厳しいルールを作れば良いというものでもない。そうして苦労しながら今のニセコルールができていったわけですが、近年はゲレンデでもうまい外国人がたくさんいるし、生まれてはじめてスキーをしてみた、なんていうアジアのゲストも増えています。
 雪へのあこがれは、すべての人間がもっているものだと思うし、南の人ならなおのこと。彼らにひらふをステキに体験してもらい、リピーターになっていただく。そのためのいろいろな工夫が、いまのひらふにはもっと求められているのだと思います。
IMG_0872小.jpgのサムネール画像

旅人宿ニセコ遊牧民・吉川邦弘さん