NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2011年2月
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アーカイブ: 2011年2月

 
 グラン・パパの開業は1985(昭和60)年。ペンション街ではごく早い時期のオープンです。
 私の学生時代は、まだ学生運動の残り火のある1970年代。多くの若者には、敷かれたレールの上をただ進むだけの人生に賛同できない気持ちがありました。私はあちこちによくふらりと旅をしました。ヨーロッパを貧乏旅行したとき、ドイツのあるB&B(Bed & Breakfast)の宿で忘れられない体験をしました。朝飯は全員が大きな長テーブルで食べるのですが、ドイツやイタリア、イギリスなど、いろんな国籍の人たちが10人くらい、自然に話を交わしながらなんとも気持ちの良い時間を共有しているのです。会社勤めをしているような大人が多かったと思います。日本ではまったくありえない光景の中に自分がいて、「ああこれはいいな!」と思いました。大学を出てサラリーマンになって、ほどなく結婚しましたが、その時のことがずっと胸に残っていました。
 
 サラリーマン生活はやはり自分には向いていなくて、家族でできる仕事をしようと思いました。そこで、ペンションです。実家が弘前と札幌で旅館をやっていたので、宿屋の勝手はわかっていました。さてどこではじめるか–。
 私は札幌生まれですから、ひらふには子どものころから何度も来ていました。中学生になると友だちと国鉄とバスを使って。会社を辞めてから本州のリゾート地もいくつか見に行ったのですが、ひらふのようにすばらしい雪質と圧倒的な積雪を誇る土地はありません。雪がつねに降り積もるひらふなら、深雪を求めて朝一に行く必要もないのですからね。やはりここではじめようと決めました。いまの場所に決めたのは、当時はうちの下にはペンションは一軒もなく、羊蹄山を正面に見すえるロケーションが気に入ったから。実は売約済みの土地だったのですが、どうしてもここではじめたくて、交渉して自分が買えるのなら、と賭けをする気持ちでした。それから26年ですから、賭けは成功だったのでしょう(笑)。
 
 グラン・パパもB&B の宿としてスタートして、その後チーズ・フォンデュのレストランをはじめました。ご存知のようにこの10年くらい、オーストラリアをはじめとした外国人のお客さまがとても増えました。朝食はビュッフェスタイルで、テーブルは分割されていますが銘々が料理を取りに立って動きながら、すれ違ったり立ち止まったりして、自然な会話が生まれています。若き日の自分があこがれたような光景が、毎日繰り広げられているわけです。
 ペンションは、設備ではホテルやコンドミニアムには勝てません。その代わりお客さんと宿、お客さん同士の親密なコミュニケーションを作り出すことができる。それが宿ごとの味わいに育っていくのです。宿屋のサービスの鍵を握るのは、女主人です。だから私はあまり全面に出ず、サポート役が多いのですが、ご家族では、特に奥さんが十分に楽しめているか、気を使います。奥さんがハッピーだと、家族はみんな笑顔になるものですからね。
 
 現在のひらふのようなインターナショナルな土地にある宿では、西洋基準のサービスや設備などが重要でしょう。でもここはヨーロッパではなく日本ですから、基盤にあるのは日本の文化です。もちろん京都や江戸の文化を付け焼き刃で取り入れても滑稽なだけですから、人との接し方や食卓のたたずまいなど、もっと広く深い意味での日本の文化、といっておきましょう。そこを間違ってはダメだと思います。
 いま息子は、私がヨーロッパを旅していたときと同じ年頃になりました。そんな影響もあり彼はドイツでも学んだのですが、この宿の跡を継ぐことになっています。新しい世代がこれから作っていくひらふに、親として、同業の先輩として、私とワイフはとても期待しています。
 
IMG_0373.JPGのサムネール画像

ペンション グラン・パパ・二川原 和博さん