NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2011年2月
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アーカイブ: 2011年2月

 
 
 
 はやくからスキー場周辺でホテルやペンションを経営してきた皆さんの声を、シリーズでお伝えしましょう。まずは、ヨーロッパ・スタイルの山岳ホテル、「ニセコパークホテル」の福井実さんです。
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 ニセコパークホテルは1977(昭和52)年の開業です。実家が倶知安駅前で旅館(福井旅館)をやっていまして、ひらふに支店を出すことになりました。両親にサポートしてもらいながら、当時26歳の私がそこを任されたのです。倶知安で生まれ育った私ですから、もちろんスキーは大好きでした。東京の大学へ進学すると基礎スキーに夢中になり、志賀高原(長野県)や白馬(同)など本州の人気スキー場にもよく行って見聞を広めていたので、それが役に立ちました。
 
 当時の宿はまだ全部で10軒くらい。いまでは想像しづらいかもしれませんが、ひらふ坂ではゲレンデから見て私のところが一番下の方だったのです。客室定員は80名くらい。なにしろ自分がスキー好きですから開業前は、空いた時間で毎日すべられるゾ、と楽しみにしていました。でも実際に営業をはじめてみるとそれどころではありません。お客様がいる以上24時間何があっても気が抜けませんからシーズン中は事務所で寝泊まりすることになり、毎日必死でした。そんなところがお客様から評価されていって、常連さんを増やすことができたのだと思います。
 
 時代の流れにも恵まれました。70年代の後半から本州からのスキーツアー商品ができて、経営は右肩上がり。ホテルも増築を重ねていきました。90年代のはじめまで、いま思えば本当に良い時代だったですね。年末年始や連休などはシーズン前に予約が埋まってしまいます。みんなでウェアを揃えた社会人のスキークラブなども、たくさんいらっしゃいました。学校の冬休みには札幌などからも家族づれがどっと来て、そこで宿が取れなかったご家族が、1月末からどんどん入りました。ただしさっぽろ雪まつり期間中は、客足がグッと落ちます。スタッフへはそこでいったん休みをあげて、雪まつりが終わるとまたてんてこ舞いの忙しさが戻ってくる。
 
 ハイシーズンはほとんど毎日満室で、朝ご飯とその片付けが終わるころにはもうクタクタです。すこし休むと全館の掃除と夕食の用意。夕食が終わったと思っても、まだ夜食の用意をしなければならない。ですからシーズンが終わると、疲れ果ててしばらくは何もしたくないのです。そのうち同業者たちのあいだで、「今年は旅行どこへ行くの?」なんていう話が出てきます。冬のあいだがむしゃらに働いたのだから、オフには毎年のように家族で海外旅行を楽しむ、という話も珍しくありませんでした。
 
 90年代に入ってバブル経済がはじけ、阪神淡路の大震災、拓銀(北海道拓殖銀行)の破綻に代表される日本経済の失速などがつづき、80年代のことは遠い昔話になってしまいました。でもあの時代があと5年続いたらどうなっていたか–。ちょっとしたお金持ちにはなったでしょうが、果たして体がもっていたかどうか、心配になります(笑)。
 
 2000年代に入ってオーストラリアをはじめとした海外の方がたくさんいらっしゃるようになり、ひらふの新しい歴史がまた動き出しました。ホテルやペンションの経営も、そろそろ2代目が表にでてくるようになっています。ひらふの財産はなんといっても、すばらしい雪と山。これがある限り私たちは、この宝物を末永く活かしていくために、これからも努力を重ね知恵を絞っていかなければなりません。
IMG_0324小.JPGのサムネール画像

ニセコパークホテル 福井実さん