NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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アーカイブ: 2010年12月

 新年を迎えるグラン・ヒラフの名物といえば、「大晦日たいまつ滑走」。35回目となる今年も、参加スキーヤーの募集がはじまっています。今回はこの「たいまつ滑走」のお話です。
  
taimatsu.jpg
 
 ひらふの「たいまつ滑走」のスタートは、1975年。はじめたのは、現在グアム政府観光局日本代表の光森裕二(56)さんです。小樽生まれで札幌育ちの光森さんは、子どものころからスキーが大好き。高校生になってもその情熱は熱くなるばかりで、冬はニセコ高原ホテルのレストランで住み込みのアルバイトをしながら、スキー漬けの日々をおくっていました。
 
「バイト仲間もスキーに夢中になっているやつばかり。だから大晦日のカウントダウンのイベントに、なにかおもしろいことやろうぜ! という話になったのです。紅白歌合戦を見ているだけじゃつまらない、とね」
 光森さんたち10数名はスキー場の理解を得て、スキーをかついて第一ゲレンデを第二の壁の上まで登り、午前0時を期していっせいに滑りはじめました。これぞ正真正銘の初滑り。これは面白い! それならばと次の年光森さんは、たいまつを持って滑ることを提案。角材に布を巻いて灯油をしみこませ、灯火とともに滑りました。
 
「ニセコ高原ホテルの人たちが手伝ってくれたのです。そんなこと危ないからやめろ、と言われるかもしれないと思っていたので、うれしかったですね。それからひらふの行く年来る年は、リフト(ホテル)の協力をいただきながら、このイベントが恒例となっていきました。今年でもう35年なんですね」
 
 その後観光業界に進んで何度も海外勤務を経験した光森さんですが、海外にいるときでも年末には必ずひらふに帰って、仲間たちとたいまつ滑走の運営にあたってきました。
 
 1980年代になって本州からのスキーツアーが盛んになると年末のリピーターの中から、自分もたいまつ滑走をしてみたい! と希望する人たちが増えて、滑走者は200人前後にふくらみました。ニセコひらふでたいまつ滑走をして年を越すことがステータスのようになって、その魅力が口コミで広まっていったのです。また当時は、一般客が気軽にたいまつ滑走に参加できるスキー場はほかにほとんどありませでした。21世紀を迎える2000年のミレニアムには280名を超えるスキーヤーが参加して、忘れられないビッグイベントとなりました。
 
 光森さんは、世界のスキーリゾートの中でも、一般客がこれだけのスケールで楽しむたいまつ滑走はない、と言います。もともと若者たちのノリでスタートしたこのイベント。ボーゲンができれば誰でも参加でき、細かな決まりはありません。今ではオーストラリアや東アジアからのスキーヤーも欠かせない顔ぶれとなり、世界に開かれたスキー場にふさわしい光景となっています。
「私たちは、ただ好きだから、面白いからと、みんなでやってきました。その自由さが、たくさんのスキーヤーや運営ボランティアを引きつけているのではないでしょうか。それと自慢がもうひとつ。いままで吹雪で中止になったことは、一度もないんです! スキー場開設50周年に向けて、70年代にニセコヒラフでスキーを一生懸命していた人たちとまた会えれば、とてもうれしいです!」
 今年も、たくさんの参加者と見物の皆さんが集うことを、大晦日のヒラフが、待っています。
IMG_2156.jpgのサムネール画像

たいまつ滑走のスタート説明をされる光森裕二氏2009.12.31撮影

  先般ご案内申し上げました、プレ50周年トークショー『そうだったのか!ニセコスキー100年史』を12月17日(金)に、予定通り開催いたしました。
 当日は、会場を埋め尽くす程のたくさんのお客様にご来場いただき、心より感謝申し上げます。
 
 ゲストとしてお招きした中浦皓至氏(日本スキー研究所 代表)からは、98年前にニセコにスキーを伝えたレルヒ中佐や、100年前に北海道大学の学生らにスキーの存在を伝えたハンス・コラー教授についてのエピソードをお話しいただき、北海道でのスキー事始めの興味深い諸事実に出会うことができました。
 また、同じくゲストとしておこしいただいた永江勝朗氏からは、昭和初期の倶知安でのスキーについて、グラン・ヒラフの始まりであるニセコ高原観光設立までの経緯、リフト開設時の様子などをお話いただきました。当時、実際に現場におられた方から、生のお話をお聞きすることができたことは、スキー場の今を担う我々にとっても大きな励みとなりました。
 
 トークショーの最後は、景気付けの意味も込め羊蹄太鼓保存会 鼓流の皆さんに、熱気溢れる力強い演舞で締めくくって頂きました。
 羊蹄太鼓の創始者である故高田緑郎さんは、ニセコのスキー文化草創期からスキーに親しまれた方で、数々の競技会において最後の選手がゴールするまで太鼓を打ち鳴らして応援をされたと伺っています。また、今回の演舞曲「ニセコ連山太鼓」もスキーでニセコ連山を登り、滑り降りる一連の動きをイメージして作られたとのことで、まさに、今回のトークショーのテーマにふさわしい締めくくりを迎えることができたと感慨を持って聞かせていただきました。
 
 司会進行を勤めた谷口雅春氏、ゲストの中浦皓至様、同じくゲストの永江勝朗様、見事な演舞を披露して頂いた鼓流の皆様、ならびに会場にお越し頂いた皆様に心よりの感謝を申し上げ、あわせて本委員会の今後の活動にご理解とご協力をお願い申し上げます。
 
                   2010年12月20日
                   ひらふスキー場発達史刊行委員会
                   委員長 久野賢策
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