NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2010年11月
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第21回ペンションの源流をたどれば-3
まち全体としての魅力づくりへ

初期の民宿の話をつづけましょう。
 現在は第一級の芝生グランドを2面持ち、夏はサッカーやラグビーの合宿もできる「ロッジ・コロポックル」の創業は、リフト開業の1961年(現在地には1973年に移転)。創業者の岡田光義さんは、当時のことを懐かしみます。
「うちは畑が大きくなかったので、冬になると親父は山仕事(伐採)をしてたもんです。自分の代になってリフトができて、家にいられるようになった」
 といっても慣れない民宿経営。とまどいも多かったそう。
「豚汁に、皮のついた豚肉を使っていたんです。そしたらあるお客さんが、汁にヒゲが入ってると怒った。そんなことを思い出すね」
 奥さんの英子さんは、宿をはじめるにあたって猛特訓を重ねて調理師免許を取りました。料理に使うイモや牛乳、米、野菜はもちろん自家製です。
「なんだか急に民宿をやることになってしまって、準備からして大変でした。自分たちが暮らしていた母屋を客室にして、私たちは納屋を改造して移ったんです。お客さんには、とにかく心を込めて地元のおいしいものを食べてほしいと思っていました」
 いま経営を担う息子の文義さんはまだ小さく、比羅夫駅にスキーヤーを乗せた汽車が着くと、馬そりで迎えにいく役目でした。

IMG_0930小.jpg旅館コロポックルの岡田光義さん、英子さんご夫妻 2010年9月撮影

 1968(昭和43)年に「銀嶺荘」をはじめたのは、先代の岡田富雄さん。1970年に冬季国体が倶知安で開催されることになり、倶知安町からの要請に応えた開業でした。現在のご主人岡田智信さんは、「客商売なんて両親にとってはまったく初めてのことで、父も母もは夏のあいだ畑仕事の合間を見て、温泉地にいってサービスのことを勉強してました」と言います。
 やはり自前の素材を使った大皿料理が売りものでした。開業当初は客集めに苦戦しましたが、やがて本州からのスキーツアーが大人気になると、泊まるだけでいい、寝るのは廊下でもいい、などという繁盛ぶりでした。11室ではじめた「銀嶺荘」ですが、6度の増築を経て、いまでは54室の老舗スキー宿になっています。

IMG_12982小.jpg旅館銀嶺荘の岡田智信さん 2010年9月撮影

 現在は「居酒屋さかえ」を経営する阪井正行さんが「さかえ旅館」をはじめたのも、国体の準備がはじまった1968年(2007年に廃業)。1965年に大雪閣の調理師として函館の湯ノ川からやって来たのがひらふ暮らしのはじまりでした。阪井さんは、開業当時のひらふは冬しかお客さんが来なかったといいます。
「なんとかしなければと、ひらふスキー場振興会という集まりを作って、リフトと宿泊施設の関係者が会費を集めて視察に行ったり、テニスコートなど夏場の対策を話し合ったんです。やがて札幌オリンピックがあり、70年代の終わりからスキーツアーが入るようになって、一気に盛り上がっていきました」
 また阪井さんはプロの調理師として、農家民宿の女将さんたちを集めて料理講習会を開きました。まちとしてのひらふの魅力は、宿全体の取り組みで高めていかなければ、と考えていたからです。

IMG_0865小.jpg元旅館さかえ 坂井正行さんご夫妻お孫さんとともに 2010年9月撮影

民宿マップ2.jpg

※上記は、ニセコ高原リフト開設から2年後くらいの時期周辺地図(当時山田温泉で配布されていたハンカチをトレース) 納田さん、小田さん、浦野(現白雲荘)さん、岡田さんら草創期の宿を営まれた方々のお名前が記載されています。