NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2010年10月
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第19回ペンションの源流をたどれば-1
スキー場造成から関わった、最初期の民宿

 ニセコ高原比羅夫スキー場(現・ニセコグラン・ヒラフ)で1962(昭和37)年3月に第40回全日本スキー選手権アルペン競技会が開かれるのに合わせて、急ごしらえの民宿が7軒つくられたことは先に述べました。その時代のエピソードをひろってみましょう。
 民宿をはじめたのはみなスキー場にほど近い農家で、倶知安町のすすめによるものでした。町としては、期待の新産業であるスキーの裾野を広げていくとともに、土壌条件にやや恵まれていないそのエリアの農業経営を支援する狙いもありました。といっても予算の面で具体的な助成はなく、7軒は金融機関から融資を受けるための民宿組合を組織します。中心になったのが、納田又治さん。
 ご子息で現在「ペンション納田」を経営する納田忠さんは語ります。
「昭和7(1932)年に親父が建てた家ではじめました。大小合わせて6部屋くらいあったでしょうか。当時は消防署や保健所の規制もゆるかったので、わりあいたやすくできたのだと思います。もともとリフトができる前からうちには、(自衛隊)倶知安駐屯地(1955年開設)の皆さんが泊まりに来て滑っていました。九州出身の方が多かったことを覚えています。正月に実家に帰らず滑って、はやくスキーをマスターしようとがんばっていた人が多かったですね」


民宿時代の納田家.jpg
ペンションになる前、「民宿 納田」の頃(昭和50年代)

 
 納田さんの父である又治さんはまた、スキー場誕生に深く関わる仕事をしていました。本家に当たる納田助七さんが営林署から請け負った、スキーコース造成のための伐採を任されたのです。斜面を覆う大きな木々は、豪雪に耐えて曲がりくねりながらも強靱な生命力をもった、ダケカンバが多かったそうです。リフトオープンの前年(1960年)。設計図に合わせて大木を伐りだし、馬でふもとまで下げる作業を、2、3人でひと冬かけて行いました。
その後自分の代になって忠さんは、夏のあいだスキー場の火防線(山火事に備える)づくりに加わりました。林床を筋刈りしてたくさんのトドマツを植えました。現在スキー場のふもと周辺にあるトドマツ林は、こうして作られたものでした。
 
 「子どものころは、冬になるとどこに行くにも長靴スキー。スキーは遊びではなくまず暮らしの道具だった」という納田さん。現在のペンション納田は、3代目忠幸さんの奥さん(康子さん)が英語を話せるために外国人客も訪れ、畑の景観が魅力の、国際色豊かな宿として親しまれています。

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ぺんしょん納田 納田忠さん 平成22年9月30日撮影


※ダケカンバは、白樺と同じカバノキ科カバノキ属の落葉広葉樹。別名、ソウシカンバ。低温や強風・積雪に良く耐え、森林限界地点では強靭にもぐにゅぐにゃと曲がった低木として育つ特徴を持ちます。森林が何かの原因で消滅した後、いち早く生える木である点で白樺と似ています。