NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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第17回 第一次スキーブーム到来!

  さて当時のひらふや倶知安の動きを見てみましょう。
 まずその10年以上前の1950(昭和25)年、山と海が織りなす多彩な自然に恵まれたニセコ周辺は、その価値が認められて道立公園に指定されていました。1958(昭和33)年9月にはニセコ周辺観光開発協会が発足して、国定公園への昇格運動がはじまります。またこの年から、悩まされるばかりだった豪雪を逆手にとってみんなで冬を楽しもうと、「倶知安雪まつり」が町民グランドではじまりました。
 1962(昭和37)年4月、熱心な運動が実り、自然公園審議会がニセコ・積丹・小樽海岸の国定公園化を答申。5月、これを期に後志(しりべし)支庁を中心に、後志観光連絡協議会が発足しました。構成メンバーは、倶知安町、蘭越町、狩太町(現ニセコ町)、岩内町、積丹町、古平町、余市町、寿都町、喜茂別町、小樽市の10市町村。6月には倶知安町役場に、観光課が新設されました。そうして翌63年7月、ニセコ積丹小樽海岸国定公園が誕生します。こうしたあゆみは、観光が、一次産業とならぶ地域の基幹産業として位置づけられていく歴史ともいえるでしょう。
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国定公園指定記念祝賀会
 日本全体をとらえるとこの時代はちょうど、戦後復興の段階を終えて高度経済成長への離陸に成功したころ。日米安全保障条約の締結をめぐる騒乱のあとに発足した池田勇人内閣の目玉は、国民所得倍増計画でした。1964(昭和39)年10月にはアジアで初となるオリンピックが東京で開幕。スキーの世界にも、このころ最初の本格的なブームが訪れます。
 ひらふ開業の年、1961年11月発行の週刊平凡(平凡出版)には、「あなたのスキー準備はできましたか!?」という特集があり、そこでは全国のスキー人口は400〜500万人、とくに最近、サラリーマンやBG(ビジネスガール、OL)の増加が目立つ、という一節があります。山男や学生のものだったスキーが、一般の人々のものになりはじめたのです。
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1961年11月発行週刊平凡(平凡出版)
 また1965年のシーズンを控えて、名門雑誌月刊太陽(平凡社)は、「スキーへの招待」という特集号を編みました。目次には、「アルプス・スキー場の魅力」(ヨーロッパのスキー案内)、「海抜3000mを滑る」(日本アルプスの立山を滑る三浦雄一郎のルポ)といった骨太の企画から、「スキー用品のAからZ」、「母と子のスキースクール」、「ファミリースキーを8ミリで撮る」などの実用情報、さらには「スキーにっぽん発展史」、「スキーを科学する」という啓蒙記事が並んでいます。特集の扉には、「いま、スキー熱は高まるいっぽう。なにが、そんなに人々をとらえるのでしょうか」というフレーズが踊ります。
 スキーをめぐるこうした熱気の中で、ひらふスキー場もしだいに存在感を高めていきました。
写真資料提供:倶知安風土館