NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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第13回 スキーでニセコ山系を知り尽くしていたエンジニア。

 当時の大手海運会社である日東商船(株)を親会社にもつ北海道ファイバーボード(株)が、倶知安に設立されたのは、1961(昭和36)年2月。両社の社長を務める竹中治は、根曲がり竹(チシマザサ)の資源調査のために技術者らをひきつれ、翌3月にはワイスホルン(1046m)周辺を視察しています。

ワイスホルンを視察する竹中氏一行.jpg

ワイスホルン(1046m)周辺を視察する竹中社長一行}
 この調査に先駆けて、既に現地入りし、ワイスからニセコアンヌプリ(1308m)一帯に独自の踏査を重ねていた人物に、ファイバーボードプラントの開発研究エンジニアであった大川修作がいました。大川修作は、ニセコ高原観光(株)事務所長大川仁吉の弟です。
 大川家は五人兄弟で、仁吉は次男、修作は五男です。そしてふたりの父は、製紙やパルプ製造の分野で知られ、戦後は大川研究所を主宰して各地の製紙工場のコンサルタントも務めていた大川理作。兄弟はみなこの父のもとで仕事をする製紙・パルプの技術者でした。理作の縁戚には、大正・昭和期に日本の製紙王と呼ばれた大川平三郎がいます。つまり大川一族は、明治・大正・昭和と、日本の製紙・パルプ界に多くの人材を輩出していた斯界の名門でした。その延長に、根曲がり竹を原料にしたファイバーボードの開発があったのです。
 根曲がり竹の資源開発調査のためにニセコ山系をくまなく歩いた大川修作は、旧制の中央大学山岳部出身。山とスキーをこよなく愛する30代はじめの青年でした。当初北海道ファイバーボード社は、竹の採取地をワイスホルンに計画していました。これだとササの刈り出し用索道(リフト)は、ワイス側につけられることになります。これに対して北海道スキー連盟や倶知安のスキー関係者は、翌年3月開催の全日本スキー選手権大会アルペン競技会の開催を目指し、競技用スキーコースを作るためにひらふ側にリフトを設置することを訴えます。大川修作も彼らの思いを十分に理解しました。
 修作は、リフト運営会社であるニセコ高原観光(株)の設立と事業展開にも深く関わり、自らのスキーで山系一帯をすみずみまで踏査しました。こうした調査をふまえて設立時のニセコ高原観光(株)からは、ニセコ山系に3カ所のリフト事業計画が発表されました。そのひとつが、ニセコ初のスキーリフトとなったひらふリフト。あとふたつは、チセリフト、ニセコリフト(旧国鉄山の家コース)でした。
大川修作さん200912IMG_2135.jpgのサムネール画像
大川修作氏 2009年12月撮影
※本文中敬称略
※この項参考文献・資料
・『降りしきる雪とともに・ニセコ国際ひらふスキー場の30年』(ニセコ高原観光株式会社)1992年
・『北海道聞き書き隊選集・第三回日本聞き書き学会応募作品』(日本聞き書き学会)より大川きみ子の稿(本間珠美)
・インタビュー/大川修作、大川富雄、渡辺淳子の各氏 ほか