NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

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第8回 オーストリア軍人レルヒの来日、来道。


レルヒ中佐

 さてここでいよいよ、オーストリアのレルヒ中佐が登場します。テオドール・フォン・レルヒ(1869?1945)は、オーストリア=ハンガリー帝国(当時)の軍人で、日本に最初にスキーを伝えたとされる人物のひとり。レルヒの来日前、ほとんどの日本人にとって欧米人が使うスキーは、まったく未知の道具でありスポーツでした。
 レルヒは、世界の予想をくつがえして日露戦争でロシア帝国に勝利した日本軍を研究するために、1910(明治43)年11月に交換将校(少佐)として来日します。陸軍では、その8年ほど前(1902年1月)に八甲田山の雪中行軍で大規模な遭難事故をおこしていたこともあり、彼のスキー技術に着目していました。
 レルヒはまず、雪深い新潟県高田(現・上越市)の第十三師団歩兵第五十八連隊に赴任します。1911(明治44)年1月。東京の砲兵工廠に作らせたスキーによって、将校や県内の中学教師らを対象に、金谷山でひと月あまりスキー講習が行われました。
 彼のスキーは当時祖国で主流だった1本杖スキーで、2メートルほどの杖の先には金物の石突きがついていました。板は単板で、金具は、かかとが上がる鉄板のタイプ。現在のスキーとはかなり異なります。

レルヒ中佐同型スキー
レルヒ中佐と同型のスキー

 同年9月。レルヒは中佐に昇進。翌1912年2月には、第七師団野砲第七連隊付きとなり、いよいよ北海道の旭川へ赴任します。ここでもレルヒからスキー技術を学ぼうと、3週間あまり春光台で講習が行われました。同師団には4つの歩兵連隊があり、そのうちのひとつ二十五連隊は札幌の月寒にありました。この月寒からの参加者もあり、また小樽新聞の記者や郵便局員など数人の民間人も参加します。スキーは、前任地の高田ですでに製作がはじまっていたので、師団が高田に注文しました。
 講習・訓練の内容は、スキーの携行や着脱にはじまり、「直立行進」「登行」「滑降」「方向転換」「制動滑降」「転倒・起立」「遽止」「難路通過」「軍需品運搬」など、基礎から応用までを総合的にマスターしようというもの。応用の中には、「テレマーク」や「クリスチャニア」といったノルウェイの技術が含まれていたことも注目されます。当時のスキーはオーストリア式とノルウェイ式に大別されましたが、レルヒはスキーの歴史やそうした背景などについても広く講義を行ったのでした。