NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2010年1月
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第4回 大湯沼、そして山田温泉。
ぞくぞく開かれた温泉群。


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『北海大観 (ほっかいたいかん)』(大正3年7月13日発行)より


 硫黄の次にこのエリアが知られるようになったのは、温泉のおかげでした。はじまりは1885(明治18)年。岩内に住む渡島某(※倶知安町百年史の表記)がチセヌプリ南麓に間欠泉を発見(大湯沼。現湯本温泉)。かたわらに笹掛けの小屋を建てて浴場にしました。
 1894(明治27)年には、倶知安への最初の入植者のひとりである山田邦吉がニセコアンヌプリの東麓に温泉を見つけて、1897(明治30)年に山田温泉として開業。このできごとが、今日グラン・ヒラフがある「倶知安町字山田」のはじまりとなりました。
 1896(明治29)年には尻別川をのぼったところ(現蘭越町)に成田温泉(現薬師温泉)、1898(明治31)年には同じく現蘭越町に宮川温泉(現鯉川温泉)が発見され、1905(明治38)年にも現蘭越町に青山温泉が開かれます。ニセコはしだいに、北海道でも有数の山岳温泉郷となっていったのです。1904(明治37)年に小樽(高島)・函館間に北海道鉄道(現JR函館本線)が開通すると、ニセコの景勝と温泉への関心はいっそう高まっていきました。


01-Image1-1-1_goshiki.jpg
五色温泉(昭和初期)


 明治末から大正にかけて、ニセコではさらに温泉開発が進められます。1908(明治41)年には、倶知安から硫黄鉱山に向かう旧道沿いに小川温泉(のちに青山温泉、現在廃業)が。同じころ蘭越の奥地に新見温泉が開業しました。1920(大正9)~26年には、現在の五色温泉のはじまりとなる井上温泉と稲村温泉が開業。1937(昭和12)年の冬には、それらの近くに札幌鉄道局の山の家が開かれました。

 大正から昭和へ、こうしてニセコの温泉が人気を集めていくのと、北海道帝国大学や小樽高等商業学校(現小樽商科大学)の学生のあいだでスキー熱が高まっていくのは、期せずして重なっていました。時代は山スキーの大いなる魅力に目覚めていくのです。

第4回 大湯沼、そして山田温泉。
ぞくぞく開かれた温泉群。


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『北海大観 (ほっかいたいかん)』(大正3年7月13日発行)より


 硫黄の次にこのエリアが知られるようになったのは、温泉のおかげでした。はじまりは1885(明治18)年。岩内に住む渡島某(※倶知安町百年史の表記)がチセヌプリ南麓に間欠泉を発見(大湯沼。現湯本温泉)。かたわらに笹掛けの小屋を建てて浴場にしました。
 1894(明治27)年には、倶知安への最初の入植者のひとりである山田邦吉がニセコアンヌプリの東麓に温泉を見つけて、1897(明治30)年に山田温泉として開業。このできごとが、今日グラン・ヒラフがある「倶知安町字山田」のはじまりとなりました。
 1896(明治29)年には尻別川をのぼったところ(現蘭越町)に成田温泉(現薬師温泉)、1898(明治31)年には同じく現蘭越町に宮川温泉(現鯉川温泉)が発見され、1905(明治38)年にも現蘭越町に青山温泉が開かれます。ニセコはしだいに、北海道でも有数の山岳温泉郷となっていったのです。1904(明治37)年に小樽(高島)・函館間に北海道鉄道(現JR函館本線)が開通すると、ニセコの景勝と温泉への関心はいっそう高まっていきました。


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五色温泉(昭和初期)


 明治末から大正にかけて、ニセコではさらに温泉開発が進められます。1908(明治41)年には、倶知安から硫黄鉱山に向かう旧道沿いに小川温泉(のちに青山温泉、現在廃業)が。同じころ蘭越の奥地に新見温泉が開業しました。1920(大正9)~26年には、現在の五色温泉のはじまりとなる井上温泉と稲村温泉が開業。1937(昭和12)年の冬には、それらの近くに札幌鉄道局の山の家が開かれました。

 大正から昭和へ、こうしてニセコの温泉が人気を集めていくのと、北海道帝国大学や小樽高等商業学校(現小樽商科大学)の学生のあいだでスキー熱が高まっていくのは、期せずして重なっていました。時代は山スキーの大いなる魅力に目覚めていくのです。